高輪牛町朧月景 ー高輪築堤見学6

高輪の夜、海上を蒸気機関車が走ってきます。
光るライトと牛よけの鉄柵を前面に付け、大きな煙突からはもうもうとした煙と赤い炎、まるで物の怪のよう。 
月は雲に覆われてみえませんが雲の切れ目からさす月明かりが遠くの波を光らせています。
手前の堤辺りは人工的な客車の光が海を照らしています。

小林清親 高輪牛町朧月景

小林清親はもと幕臣で最後の浮世絵師と呼ばれる作家です。
この浮世絵の題名は高輪牛町朧月景。
しかし絵に月は見当たりません。牛町の由来になった牛車の姿もなく、絵画的主題は明らかに蒸気機関車です。
高輪鉄道のほうが相応しい題名と思えますがあえて町の名前を引いている。そこに清親の感性があります。

江戸時代、高輪海岸は信仰を伴う月の名所として知られていました。
沖に舟を出したり、海の見える料理屋で芸者をあげたり、仮装する者もいる月見で賑わいました。
また浜では漁業が営まれ春の潮干狩りも盛んでした。
海岸沿いは東海道(第一京浜)で、荷運び牛を飼育する高輪牛町があり、旅人や行商人、人夫、牛車、客引きなど様々な人々が往来していました。
江戸時代の高輪牛町エリアは食い扶持をかせぐ仕事、信仰、旅、娯楽が一体となった町だったのです。

当時を生きた人々は高輪牛町といえば、、という気持で清親の絵をながめたでしょう。
しかしそこには料理屋の欄干も、ふるいつきたくなる美女も、荷車を引く牛も、輝く月もない。
くらい夜の海の上を、なんと海の上を、、巨大な黒い“からくり”が走っている。
これが今の高輪牛町の朧月夜、、
よく見ると雲間から月あかりが遠くの海を照らしています。
まるで離れてゆく江戸じゃないか、、。
なんともいえない気持ちになる題名なのです。

また描かれている機関車は実際に高輪を走った列車ではなく、清親がアメリカの版画を参考にして描いたといわれています。
汽車前面下部にある柵は牛よけで、古くからの牛町の仕事を鉄道が奪っていく予感をも感じさせます。
多くの明るい鉄道錦絵とは一線を画した視点で、さすが元幕臣、この強さ、繊細さは武士の心のなせる技です。

昔ながらの暮らしと近代化を一時期両立させた高輪築堤は、50年ほど使われたのちに埋め立てられ、人々の記憶から忘れさられました。
鉄道150周年を目前にして築堤がふたたび姿を現したことは驚くべき出来事でしたが、開発のために一部を残し本当に消えてしまいました。

当ブログにアップしたエリアは保存されず、解体されました。
それは清親が描かなかった朧月のようでした。

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