菊之助菩薩 ー江戸期の石仏

以前石仏の撮影をしていると妹に伝えましたら、”掃苔”(そうたい)ということばを教えてくれました。
掃苔とは古いお墓を訪れて”苔を掃い”歴史や故人をしのぶ趣味で、江戸期からはじまったものだそうです。
今でいう墓マイラーでしょうか。

都内のお墓はたいてい整備されており、ひどく苔がついた石仏はさほど見当たりません。
実際に苔を掃うことはなかったのですが、先日はじめて掃苔体験をしました。
由緒あるお寺で、敷地が広く”地面”があるので泥をかぶって字が読めない仏様がいらっしゃいました。

美麗なお顔立ちの仏様で、歌舞伎役者のよう。
鼻と唇がつぶれて欠けているのにこんなに美しいのです。
まるで五代目菊之助さん、、菊之助菩薩。

用意していたヘアブラシで文字とお顔の一部を掃いました。
土と苔を落とすにつれて文字が浮き上がり、なんとも言えない気持ちになりました。隠されていた神秘が姿をあらわすような。
発掘作業をする方はこんな気持ちになるのでしょうか。
しかし蚊がすごくて適当にしか掃えませんでした・・・

 幻夢童子
玉誉妙桂信女
元禄三(1690) 庚午 七月十五日

合掌。

ある程度大型の墓碑でこれだけ美しい像容ですから、それなりにお金のある家(平民)の女性墓碑(如意輪観音菩薩)でしょうか。 
女性の戒名の右横に男子の戒名があります。
あとから付け加えたのかもしれません。女性のお子さんだったのかもしれない。
お産が重くて二人とも亡くなった可能性もあるなあと思いました。
もしそうなら残されたご家族が立派な墓碑を建立した可能性もあるかも、、

元禄三年は、将軍は徳川綱吉 松尾芭蕉、井原西鶴が生きた時代です。
綱吉といえば、生類憐みの令が有名です。
この元禄三年には捨て子禁止令が出されました。
なかなか奥の深い法律だったようです。

こうした石仏は一度訪れただけでは、表情が読み取れません。
数回いくことでやっと良さが理解できます。
菊之助菩薩も何度も目にしていたのですが、ピンとこなかった。
美しさに気がついたのは今月になってからです。
まったくもう、、苔といっしょに猫かぶってたのかなあ、、。

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