蝶は死者の魂だと呼ばれることがある。
お墓に行くと揚羽が飛んで来たり、亡き人を偲んでいた矢先ふわりと目の前を横切ったりすると、そういう風に思えてくる。
最近わたしは蝶々に出くわす事が多くなった。
住みはじめた町は公園や緑地が多いせいか、毎日一羽は見る。
揚羽二羽で求愛ダンスをしていたり、アスファルトの上で休んでいるのや、百日紅に止まっていたり、、紋白紋黄、ルリたては、ツマグロひょうもん、しじみ蝶、、色々な種類がいる。
散歩にいくお寺では、写真の蝶々(ルリたては)が何度もまとわりついてきた。私からは見えないよう、まわりをくるくる舞う。
はさはさ、と乾いた音をたてながら、羽の先でほんの少し耳たぶをこする。
なんという軽やかさ、、けれど存在感は重い。
初めて蝶々の羽音をきき、くすぐったくて笑い声をあげた。
こういう笑いは二年ぶりだ。
二年前に亡くなった亀のみゅうちゃんは、こんな風に追いかけてきたり、おやつをおねだりしてよく笑わせてくれた。
しかし蝶々になってみゅうちゃんが来てくれた、、なんて思えない。
蝶々に亀の魂が宿るなんて可笑しいもの。
蝶には蝶の魂。
亀も蝶々も同じく無垢。
蝶々が亀のみゅうちゃんの魂でなくても良い。
同じくらいにいとおしい。
お彼岸の季節は秋の蝶々があちこちで遊ぶ。
夏が終わり、羽の破れたのが多く動きが緩慢だ。
ふわりと秋風に漂う蝶々ははかない風情。
思わずあの人かもしれない、、と夢見心地になるのは無理もない。亡き人の人間臭くて嫌な所は棚にあげ、、、
それもこれも無垢な蝶々たちの徳だと思う。
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