海の上に築堤を築き蒸気機関車を走らせる。
このユニークな決断をしたのは鉄道事業の責任者、大隈重信でした。
佐賀県立博物館ポスター
発掘された明治のレール
鉄道建設は近代化を急ぐ国が決めた事業でしたが、反対派も多く、鉄道より軍備に力を入れたい兵部省は高輪地区の測量をさせませんでした。
また地元住民も反対しました。
築堤エリアは江戸時代から交通の要所。当時は水運が盛んで、船で物資を陸地にあげたあとにすぐ側の東海道から牛や馬、人が運んでいました。
街道沿いには昔からの宿場もあり、漁業もさかんでまた月の名所としても栄えていました。
当時の様子は浮世絵でよくわかります。沢山の宿やお店が並んでいます。
古い時代から新しい時代への引き継ぎは困難を伴うものです。
海を活かした街道沿いで、ほそぼそと生計をたてていた人々にとっては鉄道建設は大問題だったと思います。
築堤の船を通す場所、橋梁のひとつは地元住民が資金を出して作られたものです。水運がいかに大切だったか理解できます。
昔ながらの仕事と新しい仕事を両立させた築堤建造。それは確かに大隈重信の英断だったと思います。
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