小さな星から愛が降る

小倉から松山のレポートは来年に繰り越すことといたします。
今日は今年最後の記事を書かせていただきます。

今年はたいへん辛い出来事がありました。
去年の暮れから調子を落としていた亀のみゅうちゃんが、だんだんと衰えてゆき、この世を去りました。24歳でした。
前ブログから読んでいただいている方もいらっしゃるので、本当はもっと前に書かねばならないことでしたが書くことができませんでした。

病が重くなってからは毎日すりつぶした餌や薬を匙で食べさせました。軽く口をあけるように触れると、ちゃんと自分で口をあけて飲みました。おトイレを覚えたくらいですから理解が早かった。
亡くなったときは、閉じた目に涙をにじませていたくらいで床を一切汚していませんでした。
持ち上げると口からさらっとした唾液をたらしました。吐き出してもよかったのに。申し訳ないと思うほど清らかでした。
精一杯お世話して尽くしましたが、私の力が及びませんでした。
ああすればよかったのでは、こうすべきだったのではと悩みました。気がついた今ならできるけど、どれも当時の私には出来ないことばかりで暗澹たる気持ちになりました。
星亀飼育の難しさと実力不足を身をもって知ったとしか言いようがありません。

みゅうはいつも私に野生動物特有の公平さや、とらわれのなさを物言わぬ姿で示してくれました。そこにあるのは自然に生きる命の事実だけでした。迷っているとき、みゅうの存在が人間の価値観を超えた命の原点に立ち返らせてくれました。
異なる種を理解する努力が自然や人を理解することにつながりました。それによってどれだけ助けられたことか。多くの教えをもたらしてくれた最高の先生でした。

失ってはじめて私とみゅうの間にあったつながりは、種を超えた愛だったと気がつきました。
亡くなってから数ヶ月たっても私が抱いた愛は悲しみに押しつぶされることなく、時に木々や草に光にいとおしさが通じていくのを体験しました。
愛とはなんと不思議なものでしょうか。

みゅうは今、海の近いうつくしい場所で眠っています。
潮風を聴きながら。
きらめく光を浮かべて私を見つめる、あの眼差しが今も浮かびます。
私の心の中にあるふたつの黒い瞳は「生きる」ことを教えてくれます。
会えなくなった哀しみも、立ちどまって苦しむのも命の証だと。
悲しみは、今までの自分には決して見えなかった道を見せてくれる。
しかし愛がなければ、悲しみは道を見せないものだと知りました。

一番上のみゅうの写真はきちんと撮影した最後のショットです。
ミステリアスでうつくしい存在でした。
今となっては二人でおとぎ話の世界を生きていたような心地がいたします。

みゅうを可愛がって下さった皆様、ありがとうございました。また個人的にお知らせをした際、多くの方々に慰められ支えていただきましたこと、たいへん有難く思っております。
重ねて感謝を申し上げます。
みゅうはこの世を去りましたが、愛は私の中でいきています。

どうぞみなさま良いお年をお迎えください!
星になったみゅうより、みなさまに愛をこめて。

☆今日もお読み頂きありがとうございます。
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