右手も左手も知らないギフト

星亀のみゅう先生と弟子(私)のコントを前ブログでよく書いていました。
みゅう先生は私にはかなり傍若無人でしたが、、(なぜか時々預けた友達には常に超いいこ。)多くを教えてくれました。
みゅう先生からの贈り物をテーマに久しぶりに書いてみました。

星亀の弟子「みゅう先生、おひさしぶり。」(涙涙涙)

みゅう先生「また会うとはな。」

星亀の弟子「みゅう先生がみまかってからというもの、私は気がおかしくなりそうで、、」

みゅう先生「お前がおかしいのははじめからだ。」

星亀の弟子「あいかわらずですね、、魂だけになったのに。」

みゅう先生「さて今日は改めて私の偉大さを教えにきた。」

星亀の弟子「クリスマスプレゼントですか。うれしいなあ。」

みゅう先生「聖書にこのような言葉がある。
ーあなたは施しをするときに右手のやることを左に悟られてはならない。これは施しを隠しておくためである。そうすれば隠れたことを見ておられるあなたの父上は褒美を下さるであろう。」

星亀の弟子「こっそりやれと。」

みゅう先生「施しって不倫みたいだね。」

星亀の弟子「違うのでは・・」

みゅう先生「私は今までお前に何かを施そうとか何かをしてやろう、教えよう、などと意図した事は一度もない!逆にうざいとか、トマトをはよ出せとか常に不満に思っていた。」

星亀の弟子「でも、私そういう所が大好き。愛してる!」

みゅう先生「図らずも私はお前に何かを与えたようだ。いやなんだけど。」

星亀の弟子「最高の幸せをいただきました。」

みゅう先生「そうらしいな。いやなんだけど。」

星亀の弟子「施しってじつは自分じゃわかんないのかなあ。」

みゅう先生「聖書には隠せと書いてあるが、本当のギフトはわからないものだ。隠されてないのに隠れているのがまことのギフト、施しである。」

星亀の弟子「わたしは先生を失って愛に気がつきました。」

みゅう先生「死は生きる者への最大の施しだ。悲しみを知り、恐れを超えろ。」

星亀の弟子「大きすぎてついていけない。今もいないことが信じられないのに・・・」

みゅう先生「じゃ小分けにすれば?」

Merry Christmas!

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