杉並のお寺でみつけた江戸時代のほとけさまたち。
船形の小さな墓標にさまざまな仏様が彫られています。
いいお顔だなあと惚れ惚れしました。
墓標には幻という言葉が多くみうけられ、雪や霜などの言葉もありました。
これらは江戸時代の子供たちのお墓でした。
雪や幻のように目の前から消えていった子供への愛惜の思いが伝わります。
今も昔も子を亡くした親の気持ちは耐え難いものです。
また親を失った子供の気持ちも。
無駄だと分かっていても子供はいつまでも親を求め続ける心を持ち、親はいつまでも子供の幻を心に抱きます。親子はそういうものだと思います。
損得や理論では割り切れない思いがそこにある。
要は迷う。人生を無駄にしかねないほどの懊悩がそこにはありますが、簡単に割り切るのは危険だと思う。
自然に考えて簡単に割ってはならないもの(心)を無理に割ってしまうのと同じだから。
割り切らないと生きていけないと思い込み、簡単に削った心のかけらが深く人を傷つけていく。迷いはさらに深くなり、迷っていることすらわからなくなる。
お地蔵様を見ていると迷いを忘れ素直な子供のような心もちになります。
すべての人にこんな仏様がそばにいるなら安心できる、というような。
お地蔵様は迷う心(業)を導く存在なのかな、、。
いままで石仏にはさほど興味はなかったのですが、いいなと思うようになり、ちょいちょいお地蔵様を探して近所のお寺や道祖神を見に行ってます。
ところが最近は道祖神にまで手作りマスクが掛けられたりしてお顔が見えないことも、、、
今も昔も日本には信仰心が息づいています。