虎ノ門5丁目。
今年大規模な開発で町そのものの姿が変わります。
消えてゆく町をしのんで、荷風先生の「偏奇館吟草」から書き写した詩を数日にわたり掲載いたします。
写真は去年の春に偶然通りかかって何となく撮影した消えた町のすがたです。
この写真のおうちは入り口の葉蘭といい上の小窓や2階の窓といい風情がありました。
永井荷風 偏奇館吟草より
燕
きのふの風けふの雨
河岸の柳は散っている。
燕の群れよ旅の支度はもうよいか
冬の来ぬ中お前達は南へ行く。
時候はかはる世はかはる。
思ひかへせば桐の花
揚場のかしに匂ふころ
わが家の倉の軒下に
来て巣をつくる仮の宿
雛を育ててもろともに
南をさしてかへり行く。
時候はかはる世はかはる。
燕よ支度はもうよいか。
河岸の柳は散っている。
見ずや浮世の風のはげしさを。
お前達のいったあと
わたしは店をしめるだろう。
あらしは烈しくなるばかり。
今年の風にはたまるまい。
燕の群よお前達は南へ行く。
わたし達はどこへ行く。
時候はかはる世はかはる。
燕の群よまた来る春に
お前達のまた来る時
今年の古巣はもうあるまい。
店は閉ざされ倉は倒れているだろう。
さらばつばめよ。
さらば古巣よ。
さらばわが家わが老舗。
時候はかはる世はかはる。
河岸の柳は散っている。
ネットでこの写真の左のたてものの裏あたりが、荷風先生とお歌さんちだったらしい、という記事を読ませていただきました。
でもって裏にまわってこの写真のつきあたりあたりもお歌さんちエリア。
らしい、、にすぎませんが。
偶然とはいえなぜこのエリアを写真におさめていたのか、、不思議。
撮影したときはお歌さんちのことは知らなかったのです。
なんとなく気になった被写体は記録しておくべきですね。
偏奇館吟草は荷風の美しい日本語をたんのうできる詩集です。
消えてゆく時代に対する悲しみや愛惜の思い、そして孤独があふれています。
ひとことでいって内容は暗いですが、とにかく日本語が美しい。
美しいから暗くても読めるんです。ここ重要ですね。
暗い詩を書く荷風先生ですがむろん全部が全部、暗い人であったはずはありません。
なんだかんだ楽しみをみつけ、キャッキャしてたはずでございます。
偏奇館吟草は国会図書館のデジタルアーカイヴでお読みいただけます。