日暮れに立ち止まれ ー虎ノ門西久保八幡神社

学生のころ初めて街歩き写真を撮ったのは東向島。
写真学校の課題で、永井荷風の墨東綺譚のまちを題材にしました。

10代から荷風の作品には親しんでおり、墨東綺譚のお雪さんがいた町は今はどんな風なんだろう、、と、単純に興味を持ったのです。
その頃は東向島駅はまだ玉の井駅でした。

しかし記憶に残っているのにカメラに収めていない景色が幾つかあり、あれをとれば良かった、と数十年後の今になって後悔しています。
とくに思い残しているのは古びたおいなりさんの敷地に、犬か猫の墓標があったことでした。
田舎から上京した私はさすが東京は都会だ、昔からペットのお墓を作っていたのか、と文化度の高さに感心しました。
なのに写真に撮ってないのだから呆れます。小説に関係ないから。と思ってしまったのでしょう。
荷風はウエットで情の細部に敏感なところがありますから撮っておくべきでした。


男坂を上りきったところにある石碑。明治の文字がよめます。

とはいえ私は町歩き写真は得意ではなく、そのころからあまり進化していません。
西久保八幡に初めて訪れた際も、壊される前のお宮は撮影していないのです。


女坂を下りきったところから見る鳥居。手前の木は切られています。

初めて訪れたのは一年前。
撮影する気はなく、ただふらっと行ってみただけでした。
裏のガケにあった北参道(??)の下でグーグルが「ようこそ!西久保八幡神社へ!」と表示。
え?どこ?目の前には廃屋とガケにへばりついた階段しかないんだけど、、。
廃屋もガケの階段も非常に気味が悪かったのですが、しぶしぶ上ってみました。
いま思えばお歌さんのうちから一番近いお宮への階段だったはず。
途中で写真を撮ろうかなと構えたのですが、、、荒廃しており、あまり絵にしたくない・・・
上りきると本殿わきのお稲荷さんのところに出ました。
また本殿の背後には新興宗教の建物の屋根が覆いかぶさるような構図で構えており、複雑な気持ちになりました。
西久保八幡は貝塚が出たほどですから文化的な価値のある場所ですが、その周辺はゴーストタウンと化しており、お宮の背後には威圧的な建物が控えている。
いろいろ衝撃でした。
その時は荷風がこの地に通いお歌さんちが傍にあったことも知りませんでした。

あとになって我善坊谷は開発される予定で、八幡様は荷風に関係する場所とある人に教えられました。
このあたりは消えていく町だった。
写真に携わる者として自分は町をどう捉え、視点には何が必要か、たちどまるべきでした。
消えた町は教訓を与えてくれました。

 
江戸砂子(江戸時代の地誌)の石碑。

とはいえ今は下調べ十分で写真が上手な町歩きの達人がたくさんいらっしゃいます。
ネット上には昔の西久保八幡の写真記事をアップしておられる方がいらっしゃいますので、ご興味があれば検索して参考になさってください。

また八幡神社のフェイスブックには戦前の動画もアップされていました。
荷風が日記に記した八幡様の盛大なお祭りを体感できると思います。


お歌さんが住んでいたあたり。

さてゴーストタウン、、と思ったわりには八幡様周辺のおうちをいくつか撮影していました。
次回はわずかですが記録しておいた写真をアップします。

☆今日もお読み頂きありがとうございます。
Please Click for the blog ranking sites. Thank you!
↓ランキングに応援クリック↓よろしくお願いいたします。
  にほんブログ村 写真ブログ 写真家へ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする