1993年。
原宿の古いマンションの一室で
小さなスタジオをやっていた。
神宮前が地元になったのが嬉しくて
ヤクルトを応援していた。
ノムさんが大好きだった。
なぜなら月見草だから。
私たちの弱小スタジオも大手や有名どころに
適わない月見草だった。
いくら技術が優れていても簡単に仕事は来ない。
撮影の傍ら、写真技術の向上だけでなくニーズを研究して
新規開拓に精をださないと仕事は取れなかった。
地方ロケの帰り、日本シリーズの最終戦をラジオで聞いた。
高速道路の夕焼けを見ながら固唾をのんだ。
優勝が決まったとき、うれし泣きをした。
こんなこともあるんだ。
ノムさんがヤクルトを優勝させた。
努力すれば夢は可能になると証明した。
あきらめずにがんばろう。
その後それなりの仕事をたくさんやった。
予想以上の仕事もやった。
でも一番よかった日は1993年の11月1日。
夢をかなえることを信じた日。
あの夕やけ空が今も目にうかぶ。
ご冥福をお祈りします。
野村監督、明晰な夢をありがとうございました。
野村克也・人の成長に必要なものとは
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