ひとつまえの記事で落語で大笑いしたと書きましたが
実はわたし、落語が嫌いでした。
寄席にいっても笑ったことがなかったのです。
皆大笑いしているというのに・・・
こんなに相性の悪い表現はないと思っていました。
それなのになぜ近頃になって落語に親しむようになったかというと、ある体験をしたから。
〔夜の浅草仲見世〕
さてある日、私は落語が流れてくる場所にいました。
その頃は落語嫌いですから意味は追わずただ「音」として聞いていました。
とにかく話の内容を聞きたくない。
皆が笑っているのに自分が笑えないのがつらいのです。
しかしふと噺がメロディや、リズム、音楽として聞こえてきました。
日本語の音が、呼吸が、ふしぎな音楽に聞こえたんです。
三味線の音色や太鼓の響きを思わせる、日本語の響き。
そのうちことばの音が情景を描き出し、人の気持ちを唄いだし、気がつくと話に聞き入っていました。
新鮮な体験でした。
幼児の頃に音や文字のかたちが意味を持ったときと同じような嬉しさ、喜びがよみがえりました。
それからというもの落語をクラシック音楽と同じように鑑賞するようになりました。
音を聴き、流れにのって話(意味)を受けとり、どんな風に噺(曲)をやるのかを楽しむ。
噺を知らなくても、意味がわからなくても、噺家さんを知らなくてもいい。
難しいことを考えず日本語の音楽を聴いてみる。
音楽的に聴くと、語りの拍子や抑揚から聞き所が素直に入ってきます。噺の意味合いよりまず心が伝わります。
まるで演奏家のリサイタルみたい。
しかし寄席はリサイタルとは決定的に違うところがある。
何かというと、、やっている途中で大笑いしてもいいんです!
そこが落語の一番いいところ、ですね。